東京、1998年10月1日

皆様、お元気ですか?  今回は、合気道の山口清吾先生:(Seigo Yamaguchi Sensei) の合気道にかけた生涯と業績について、特に関係の深かった 合気道の人々に改めて紹介する事を目的に筆をとりました。

青年時代

 故人は九州の福岡に生まれ多くの兄弟にめぐまれて育ち、非常に元気のある少年時代をすごしたと聞いています。また父親が学校の校長だったことから、家にあった大量の蔵書を濫読し教養の基礎となったと言っておりました。
 青年にいたっては、旧柳川藩の藩校の歴史を持つ伝習館を卒業し廣池千九郎博士の創設した広池学園(現在の麗沢大学)に縁あって進学しましたが、時悪く太平洋戦争を迎え学徒出陣をしました。海軍に少尉として出征し、戦争末期には特殊潜行艇で出撃し敵艦に特攻する運命でした。父の場合は、出撃寸前の辞世の句を読むところまでいって終戦になったわけですが、多くの同期の方が返らぬ人となりました。
 復員後は部隊をすぐ解散し福岡へ戻りました。その後は、国あるいは世界を対象に志しを広げていき、職業選択としては第一回の国家公務員上級職試験にも合格(日本でその当時には大変名誉なことであった)しましたし、大手の会社で働くような話(日本では大きな会社で働くことが良いと考えられてきた)もあったようです。

合気道創始者 植芝盛平先生との出会い

 しかし、本人はフランスへ旅立つことを決意しておりました!(ずっと後に実現)。 そこへ、父の父(私から見て祖父)の知り合いであるマクロビオティックの方から「海外にでる前に日本の伝統を何か身につけた方が良い」という勧めがありました。

 その方の紹介と推薦を得て、植芝盛平先生に運命の出合いをしまして、ある種の感動を持って入門・師事する事になりました。終戦後日本人が食べることに必死だった時代に、誰も省みない武道を行うだけではなくこれに専心し、合気道を通じて生きていく道を選んだ訳です。特に当時の日本では経済的に成り立たちにくい武道の先生に、他に職業を持たずになることは大変な選択だったと思います。こうして合気道の先達の一人となり今日に至りました。

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